がんばらないを、がんばってみる
──力を抜くって、意外とむずかしい。
がんばりすぎると、心は折れる
がんばることは、美徳だ。
そう教えられてきたし、自分でもそう信じてきた。
けれど、がんばりすぎた先にあるのは、達成感ではなく、真っ白に燃え尽きた灰のような自分だったりする。
それがわかっているのに、私たちはついがんばってしまう。
「もっとできるはずだ」「ここで止まってはいけない」
そんな強迫観念に追いかけられ、ようやく立ち止まったときには、もう動く気力すら残っていない。
そして、動けなくなった自分を見て、また自己嫌悪に陥る。
そんな負のループから抜け出すのは、思っている以上に骨が折れる。
じゃあ、がんばらなければいい。
理屈ではそうわかっているけれど、それが一番の難問だ。
何もしていないと、まるで世界から取り残されたような不安に襲われる。
「このままじゃダメなんじゃないか」という焦りが、せっかくの休息を「ただの停滞」に変えてしまう。
だから、ふと思った。
「がんばらない」ということを、いっそひとつの目標として、“がんばって”みたらどうか。
「がんばらない」という、攻めの姿勢
「がんばらない」を実践するのは、実はとても勇気がいることだ。
それは単なる怠惰ではなく、自分を維持するための「戦略的撤退」に近い。
「今日はもう、絶対に何もしない」
「やるとしても、5分だけ。タイマーが鳴ったら強制終了」
「徹底的に寝転ぶ。意味もなくスマホを眺める。飽きるまで昼寝をする」
これらを「なんとなく」やるのではなく、「今日はこれをやり遂げるんだ」と決めて、ちゃんとやる。
そう決めるだけで、不思議なことに心のざわつきが少しずつ収まっていく。
「やらなきゃいけないのにできていない」という罪悪感が、「今日はやらないと決めたことを実行している」という肯定感に変わるからだ。
無理やりエンジンを回し続けてオーバーヒートさせるより、一度火を消して冷却するほうが、長い目で見ればよっぽど遠くまで行けることもある。
やる気が出るのをじっと待つのではなく、やる気が出ない自分を「まあ、そんな日もあるよね」と面白がれるかどうか。
その心の余白が、明日への小さな活力に繋がっていく。
力を抜くことを、人生のルーティンに
「がんばらない」ことは、決してさぼりではない。
それは、健やかに生きていくための「呼吸」のようなものだ。
呼吸は、吸い続けることはできない。
苦しくなる前に、たっぷりと吐き出す必要がある。
がんばることが「吸う」動作なら、がんばらないことは「吐く」動作だ。
しっかりと吐き出すからこそ、また新しい空気を吸い込むことができる。
力を抜く練習。
それは、自分を甘やかすことではなく、自分を大切に扱うための技術だ。
うまく力を抜けるようになることも、立派で、そしてとても豊かな生き方のひとつだと思う。
