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恋は人生のワインであって主食ではない

人生・暮らしの考察

アインシュタインの言葉に、こんな言葉がある。

「異性に心を奪われることは、大きな喜びであり、必要不可欠なことです。しかし、それが人生の中心事になってはいけません。もし、そうなったら、人は道を見失ってしまうことでしょう。」

なるほど。相対性理論で宇宙の真理を解き明かした天才も、こと恋愛に関しては非常に現実的、かつ冷静な視点を持っていたようだ。

「恋は盲目」とは古くから言われる言葉だが、それは時に、判断力を奪う劇薬にもなり得る。相手の欠点すら「そこが人間味があっていい」と都合よく変換してしまううちはまだ微笑ましいものだが、深刻なケースでは相手の不正や悪事にまで目をつむり、自分自身まで破滅の道へ引きずり込まれてしまうこともある。連日のニュースで報じられる痛ましい事件の背後に、こうした「盲目的な執着」が潜んでいるのを目にすることも少なくない。

そこで私は、恋を「ワイン」にたとえてみたいと思う。

良質なワインは食卓を華やかに彩り、沈んだ気分を軽やかにしてくれる最高のスパイス。一口含めば、日常の景色が少しだけ鮮やかに見えることもあるだろう。しかし、どれほど高級で美味しいワインであっても、それを「主食」にしてしまえば、間違いなく体調を崩す。常に酔いしれていなければいられない状態は、もはや楽しみではなく依存であり、やがて足元をふらつかせ、人生という長い道のりを見失わせる原因となる。

恋もまた、全く同じことが言えるのではないだろうか。

ほどよく味わい、その香りを愉しむ分には、人生に深い充足感を与えてくれる。しかし「これ一本で生きていこう」と心血を注ぎすぎると、いつの間にか自分自身の生活や信念、あるいは他者との健全な関係性までが蔑ろにされてしまうことだろう。一時の情熱に人生の舵をすべて預けてしまうのは、あまりに危うい賭けと言わざるを得ない。

結局のところ、アインシュタインの忠告は「恋を否定するのではなく、それに振り回されない自分を保て」ということなのだろう。

恋は人生に潤いを与える芳醇なワイン。そして主食は、あくまで自分自身の足で立つための「軸」や「志」であるべきだ。そのバランスさえ忘れなければ、私たちはもっと自由に、もっと豊かに、愛という名のワインを嗜むことができるはずだろう。

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