映画で見たサンフランシスコは、もっとクールな街だったはずだ。
あの『ダーティーハリー』。
銃を構えたハリー・キャラハンが車でぶっ飛ばすあのシーン、ケーブルカーの線路が斜面に交差するスリリングなカーチェイス。
子どもの頃、テレビで観て興奮したのを覚えている。
あれを観たとき、私はずっとこう思っていた。
「ああ、あれがサンフランシスコなんだ」と。
でも、実際に歩いてみて、わかった。
あれは、ちょっと盛ってる。いや、だいぶ盛ってる。
ケーブルカーの坂は「見た目」以上に殺人的である
映画ではスムーズに車がジャンプしていたが、現地ではそうはいかない。
ケーブルカーが走る坂の傾斜は、もはや壁である。
地元の人すら「ちょっと登りたくない」と思うほどだ。
観光気分で上ってみたが、五分で後悔した。
膝が笑い、心拍数は走ったわけでもないのに全開。
カメラ片手に「うわぁ~、これがあの坂かぁ」などと映画でお馴染みの坂を目の前に感慨に耽る余裕すらなかった。
犯人、絶対ジャンプしたかっただけ説
よく考えてみると、あの坂道を車で上る理由がどこにあるのか。
70年代の車じゃギアも2速じゃないと絶対上がっていかない。
なんなら人が走った方が速いかもしれない。
最短ルートでもないし、逃げ道にも不向き。
むしろ坂の上に出た瞬間、あとは急勾配の下り坂でジャンプしないと話が進まないのだ。
つまり、犯人は「ジャンプしたかっただけ」。
脚本家が「どうしてもこの坂でジャンプするシーンが必要だった」以外に理由は見当たらない。
映画と現実、そのズレもまた旅の一部
旅をしていると、ときに映画がつくった「幻想」と実際の風景のギャップにぶつかる。
それはがっかりではなく、むしろ発見である。
「なるほど、映画はこうやって現実を加工するのか」と。
サンフランシスコの坂道は、確かに美しい。
でも、あれを車で飛んでいくなんてことは、現地の人間はまずやらない。
ましてやケーブルカーと並走など、あり得ない。
というわけで、ダーティーハリーのようなクールな追跡劇は、スクリーンの中にだけ存在する幻だった。
だが、その幻を胸に坂を登った自分の足には、ちゃんとその「現実」が刻まれている。
旅とは、そういうものだと思う。