動けないのは、ただの慣性かもしれない

人生・暮らしの考察

気づけば、何もしたくない日が続いていた。

朝がだるい。やることは山ほどあるのに、手が動かない。

自分の中で、何かが止まってしまったような感覚があった。

「怠けているのだろうか」とも思った。

でも、そう決めつけるのは少し早い気もした

心もまた、慣性の法則で動いている

ふと頭に浮かんだのは、学生時代に習った物理の法則である。

止まっているものは、止まり続ける。

外から何かの力が加わらないかぎり、動き出さない。

これは、物理の基本中の基本、「慣性の法則」である。

人の心も、案外これと似たようなところがあるのではないかと思う。

立ち止まっているとき、すぐに動けなくても、それは仕方のないことなのだ。

力が足りていないだけで、気持ちの問題ではない。

だから、自分を責める必要はない。むしろ「今の私は、止まっているんだな」と気づくだけで十分である。

そこにほんの少しでも外からの力…誰かの言葉や、何かを見て心が動く瞬間が加われば、人はまたゆっくりと動き出せる。

無理に押すと、心が反発してしまう

また、物理には「作用・反作用の法則」というものもある。

押せば、押し返される。力を加えれば、同じだけの力で反発が返ってくる。

「頑張らなきゃ」と強く自分に言い聞かせると、

「でも、もう無理だよ」と心のどこかで反発してくることがある。

それは心が弱いのではなく、自然な反応なのだと思う。

あまり強く押しすぎると、自分の中で逆方向の力が生まれてしまう。

だから、押すならそっとでいい。背中に手を添えるくらいの気持ちで、静かに力を加えるのがちょうどいい。

想像することが、動き出すきっかけになる

アインシュタインは言った。

「想像力は、知識よりも大切だ」と。

目の前の現実がすべてだと思ってしまうと、どんどん苦しくなる。

でも、まだ見えていないものがあると想像できれば、人の心は少し軽くなる。

「自分はこれから変わるかもしれない」その想像こそが、動き出すための最初の一歩になるのだろう。

物理は、何も心を遠ざける学問ではない。

ただ、世界をそういう仕組みで捉えてみる手段のひとつである。

そしてその仕組みは、案外、私たち自身の中にも通じている。

だから、動けない日があってもいい。

その日は、ただの「静止状態」なのだ。

いつかまた、何かの力が加わるときまで、ゆっくり止まっていればよい。

視点を変えないかぎり悩みは解けない

タイトルとURLをコピーしました