「勝ち組か負け組か?」と考えた時点で、何かを見失っている。

人生・暮らしの考察

あるとき知人に聞かれた。

「お前って勝ち組だと思う?」

そのとき、ふと私はこう答えた。

「そんなことを考えている時点で負け組じゃない?」

なんとなく出た言葉だったが、後から振り返ってみると、意外と本質を突いているような気がした。

なぜそんなことを考えるのか

「自分は勝ち組なのか?負け組なのか?」

そうした問いが浮かぶとき、多くの場合は心が不安定になっているときだ。

仕事がうまくいかない、人間関係がこじれている、あるいは将来への漠然とした不安に包まれているとき。

そのとき、人は他人と比べたくなる。

「自分はどこにいるんだろう?」と確認したくなる。

でも、それは多くの場合、自分を下に見るための比較でしかない。

勝ち組の定義って、何だ?

たとえば、年収5億円稼いでいるとする。

きっと多くの人は「それなら勝ち組だ」と思うかもしれない。

だが、ビル・ゲイツやイーロン・マスクと比べたらどうだろう?

彼らから見れば、その5億円すら「端金」かもしれない。

つまり、「勝ち組み・負け組み」といった概念は、上には上がいる無限ループの中での“相対的な幻想”にすぎない。

そしてそれは、単に価値観の違いに過ぎないのだ。

本当の勝ち組って誰なのか

私は思う。

本当の勝ち組とは、「自分のやりたいことができている人」ではないかと。

誰かにどう見られるかより、「自分が納得できるか」を軸にしている人。

そういう人は、そもそも「勝ち組かどうか」なんて考えない。

その問い自体が、もう必要ないからだ。

結局は「自分の物差し」でしかない

他人の物差しで生きる限り、永遠に勝てないゲームに巻き込まれる。

SNSを開けば、上には上がいる。

それを見て、また落ち込む。

でも、それは本当に意味のある比較なのだろうか?

「自分がやりたいことを、いま、やれているか?」

この問いに「はい」と答えられるなら、それで十分じゃないか。

それが、自分にとっての“勝ち方”なのだと思う。

経験こそ財産。一銭にもならない。けれどプライスレス。

タイトルとURLをコピーしました