土用の丑の日が近づくと、街のあちこちで「うなぎ」の文字が踊る。
スーパー、コンビニ、百貨店。
あらゆる場所に蒲焼きの香りが漂い、人々は当然のようにうな重を買い求める。
だがこの「うなぎ=土用の丑の日」という風習、実は自然発生的な伝統ではない。
その起点は、あの奇才・平賀源内にあった。
そもそも「土用」とは何か
「土用の丑の日」と聞いても、言葉の意味まで知っている人は案外少ない。
「土用」とは、立春・立夏・立秋・立冬の直前、約18日間の期間を指す。
「丑の日」は、その期間中の“十二支”で丑にあたる日というだけの話である。
つまり、「夏の暑さが本格化する少し前の丑の日に、体力をつけましょう」という理屈。
が、そこに「うなぎ」が登場するのは、もう少し後の話である。
「夏にうなぎが売れない」悩みから始まった
江戸時代中期、あるうなぎ屋が、こう嘆いたという。
「夏は暑さでうなぎが売れない。どうしたものか……」
そこで相談を受けたのが、蘭学者であり発明家でもある平賀源内だった。
源内はこう言った。
「“土用の丑の日にはうなぎを食べると元気が出る”と張り紙すればよい」
うなぎ屋はそのとおりにしたところ、大いに繁盛したという。
これが“土用の丑の日=うなぎ”の始まりとされている。
科学より先にマーケティングがあった
考えてみれば不思議な話である。
「暑いから売れない」ものを、「暑いからこそ食べろ」と提案しただけで売れたのだ。
しかも、それが“文化”として定着するほどに広がった。
当時は「栄養価」などという概念は一般に浸透していなかったはずだ。
だが、精のつく食べ物としてのイメージ、うなぎの脂の力強さ、そして源内のネームバリュー。
すべてが合わさって、「この日に食べるべきもの」という空気が出来上がっていった。
時代が変われば、文化も変わる
もちろん、現代では「うなぎの過剰消費」や「資源保護」の観点からも再考の声が上がっている。
絶滅危惧種としての危うさ、養殖の問題、価格の高騰。
それでも、夏になるとうなぎが食べたくなる。
食欲とは、理屈ではなく習慣と記憶に根ざしているのかもしれない。
文化とは、誰かの知恵が形になったもの
「文化」とは、歴史の中で自然に生まれたものだけではない。
ときに誰かの企み、ときに知恵者の閃き、ときに販促キャンペーンが、その起点となる。
うなぎもまた「仕掛けられた文化」の一つである。
だが、仕掛けただけでは文化にはならない。
それを受け入れ、楽しみ、毎年繰り返す“人々”がいてこそ、文化になるのだ。
追記:夏バテに効くのか?と言われても
うなぎには、たしかにビタミンB 1やA、良質な脂などが豊富で、
「夏バテに効く」とよく言われる。
だが、実際のところ、それがどこまで本当に効果があるのかは、はっきりしない。
科学的に完全に証明されたわけでもなく、
食べたからといって急に元気になるものでもない。
とはいえ、「夏バテに効く気がする」という思い込みが、
じつは一番のエネルギー源なのかもしれない。
文化も、効能も、だいたいそんなものだ。
ちなみに土用の丑の日は年に4回ある
「土用の丑の日」といえば夏を思い浮かべるが、
実は土用は春夏秋冬の各季節にあり、年に4回存在する。
つまり、「丑の日」もそれぞれの土用期間中にやってくる。
では、冬の土用の丑の日にも、うなぎを食べるのか?
答えは「食べてもいいが、特に食べない」である。
もともとこの風習は「暑くて売れないうなぎを売る」ために平賀源内が仕掛けた販促だった。
夏の“暑気払い”という文脈があったからこそ、「うなぎ=夏バテ対策」が説得力を持った。
だからこそ、「土用の丑の日=夏=うなぎ」という構図だけが独り歩きし、
春や冬の“丑の日”は話題にもならないのだ。
ほんとうは、どの季節の土用にも身体をいたわるという意味があり、
“い”や“は”の音で始まる縁起食があるとも言われる。
だが、それが定着することはなかった。
定着するかしないか。
人々が乗っかったかどうか。
それこそが、「文化」になるか否かの分かれ目なのかもしれない。