敬老の日から考える、日本の祝日の矛盾

人生・暮らしの考察

赤く塗られた休みの不思議

もうすぐ敬老の日である。

カレンダーには赤く印がつき、休みが一つ増える。

日本は祝日の多い国で、年間16日ほどあるとされ、世界的に見てもトップクラスだ。

しかし、祝日が多いからといって、日本人が自由に休めているかというと、どうも怪しい。

有給が使えぬ国民性

日本人は有給を取らない。

いや、正確には「取りたくても取りづらい」。

上司の顔をうかがい、同僚に気を遣い、結局は机に張りつく。

厚生労働省のデータによれば、有給消化率はおよそ50%程度。

つまり半分は消えないまま年を越すのだ。

そこで国が登場し、「この日は休め」と命じる。

ありがたいことではあるが、同時に奇妙である。

赤い日がなければ休めない国民性とは、一体どのような自由なのか。

欧米との対照

欧米では状況が逆だ。

アメリカは祝日が十日ほどしかない。

ヨーロッパも同様で、国によっては年間祝日が10日未満の国もある。

しかし、彼らは自らの判断で休暇を取り、数週間の長期休暇に出かける。

カレンダーがどうであろうと、自由に休むのである。

赤い日が少ないからといって、働き詰めになるわけではない。

自由の皮肉

一方、日本は赤い日でなければ休めない人が多い。

自由を与えられたはずなのに、自由を使えない矛盾である。

こうして一年のうち、祝日がこれでもかと差し込まれる。

国が休みを与えてくれるから休めるのか、国に頼らなければ休めないのか、考えれば考えるほど皮肉な仕組みである。

敬老の日の本当の意味

敬老の日は老人を敬う日である。

しかし、実際には働き詰めの人間に休みを与えるための日でもある。

もっとも、自ら休む勇気を持たない限り、赤い日を増やすしかないのだが。

カレンダーの赤に頼らぬ自由は、まだ遠いのかもしれない。

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