世界の紅葉文化 ― 日本だけが「赤」を愛でる理由 ―

自己啓発・コラム

秋が深まる頃、日本では山々が燃えるような赤に染まる

「紅葉狩り」という言葉があるほど、私たちはその赤を特別なものとして楽しむ。しかし、世界に目を向けてみると、この「赤」を中心に愛でる文化は、どうやら日本独特のようである。

たとえば北米。アメリカやカナダの紅葉は確かに美しいが、人々は「フォール・カラーズ(fall colors)」と呼び、黄色からオレンジ、茶色まで、森全体のグラデーションを楽しむ。観光ガイドでも“赤一色”を強調することは少ない。むしろメープル(楓)の黄金色や、バーチ(白樺)の淡い黄が好まれる。

ヨーロッパでも同じだ。イギリスやフランスでは、紅葉は「秋の終わりを告げる風景」に過ぎず、「見に行くもの」ではない。紅葉狩りという行事も存在しない。人々の関心はワインの収穫や感謝祭、つまり「実り」や「生活」に向いているのだ。

では、なぜ日本人だけが、ここまで「赤」に心を動かされるのだろう。

その理由は、古くからの自然観と美意識にある

日本人は、移ろいゆく自然の中に「情緒」を見出してきた。桜の散り際に儚さを、紅葉の赤に哀愁を感じる。これは、単なる色彩の好みではない。「終わりにこそ美が宿る」という感性が、日本文化の底に流れているのだ。

『万葉集』にはすでに「紅(くれない)ににほふもみぢ葉」という表現がある。

「にほふ」とは、「香るように美しく輝く」という意味であり、単なる色の描写ではない。枯れゆく葉が最後に放つ赤を、まるで命の炎のように見つめた日本人のまなざしがそこにある。

この感覚は、仏教の「諸行無常」とも深く結びついている。

すべてのものは移ろい、やがて滅びる。それでも、その一瞬の輝きに心を寄せる——。散る桜と同じく、紅葉の赤も「終わりの美」を象徴しているのである。

対して、西洋の秋は「実りの季節」

生命が尽きていく悲しみではなく、「豊穣」と「収穫」の喜びを祝う。紅葉の色づきも自然の一部として受け止め、特別な意味を持たせない。

そこに、「生の肯定」を重んじる文化と、「儚さに美を見る」文化の違いが浮かび上がる。

日本人が紅葉に感じる「もののあはれ」は、科学的な理屈を超えた心の反応だ。

葉が赤くなるのはアントシアニンの作用にすぎない。だが、その現象に情緒を見いだし、季節のうつろいを詩や絵に託してきたのは、この国の人々だけである。

現代では、SNSに映える赤を求めて観光地を巡る人も多い。

しかし、かつての人々は、その赤に「滅びの美」を感じていた。燃えるような山の色は、自然が見せる最後の輝きであり、同時に“命がめぐる”ことを教える色でもあったのだ。

世界のどこを探しても、「紅葉」をこれほど深く愛でる国はない。

日本人が赤に惹かれるのは、血の色でも、太陽の色でもなく、

――“終わりを受け入れる”美しさを、そこに見ているからだ。

世界の紅葉文化 ― なぜ日本人だけが赤を愛でるのか

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