先日、山道を歩いていた折のことである。ふと道端に丸い影が転がっているのに気づいた。よく見ればタヌキであった。猫よりひとまわり大きな体に、ふさりとした尾。こちらと目が合うや、一瞬ためらい、そのまま緑の中に吸い込まれるように消えていった。山の静けさに、ひととき異界の扉でも開いたかと思わせる光景であった。
タヌキや狐が昔話に頻繁に顔を出すのも、なるほどとうなずける。彼らは夜行性で、日の沈んだあとの曖昧な光の下を好む。その動きは人の目に確かめがたく、丸い体や尾の揺れは、灯の揺れる影のように別の形へと変じて見える。想像力の乏しい人でも、つい「化かされた」と思いたくなる瞬間がある。
加えて、農の暮らしと無縁ではなかった。畑を荒らせば、村人はすぐに声を荒げ、話は尾ひれをつけて広がる。小さな被害も、語られるうちに一夜の怪談に姿を変える。人の口こそ、最も巧みな妖術であったのかもしれぬ。
信仰の色も濃い。狐は稲荷の使いとして尊ばれ、タヌキは悪戯好きの妖しとして恐れられた。そうした文化の網の目が、彼らを「化かす動物」に仕立て上げたのであろう。科学の目で見ればただの獣にすぎぬが、人の信じたい心が物語を育てたのだ。
考えてみれば、人を迷わせる力など、今の都会にはもっと手強いものがある。電車の乗り換え案内やら、複雑な契約書やら。タヌキや狐の出番など、とっくに奪われてしまったに違いない。
だからこそ、もし再び山で彼らに出会うことがあれば、ただの動物と見るよりも、昔話の余韻を宿した生き物として眺めてみたい。自然の中に潜む小さな不思議を見逃さぬこと、それが人の心に残る文学の種になるのかもしれない。

