「休むってなんだろう」“なにもしない”をちゃんとする時間

食・雑談

あなたにとって“休む”とは、どんな時間だろうか?

「ちょっと休みたいな」と思うことはあっても、

“どう休むか”を真剣に考えたことは、意外と少ないかもしれない。

ただ横になって目を閉じることなのか。

何もせずにぼーっとすることか。

あるいは、好きなことに没頭して、時間を忘れるような感覚か。

休むってなんだろう。

「何もしないこと」に、罪悪感を感じてしまう

ソファに寝転んで、窓の外を眺めながらただ時間を過ごしていると、

ふと、心のどこかがざわつくことがある。

「こんなことしてていいのか」

「時間がもったいないんじゃないか」

「やるべきこと、あるんじゃないか」

そんな声が、頭の片隅でこだまする。

休んでいるはずなのに、心はどこか落ち着かない。

それはきっと、“休む”という行為にさえ、

「意味」や「成果」を求める癖がついてしまったからだ。

休むのに「理由」はいらないはずなのに

誰かのために動いているとき、

何かを達成しようとしているとき、

私たちは「頑張っている」と評価される。

だけど、ただ静かに息を吐いている時間には、

なぜか説明が必要になる。

「疲れていたから」とか

「リフレッシュが大事だから」とか、

休む理由を正当化しようとしてしまう。

けれど本来、休むことに理由なんていらないはずだ。

眠るのに言い訳は要らない。

深呼吸するのに、誰の許可もいらない。

立ち止まることは、決して後ろ向きなことではない。

「なにもしない」を、ちゃんとする

最近は、「何もしない日」をあえて予定に入れるようにしている。

カレンダーには、なにも書かない。ただ、空白を残しておく。

なにも予定がない、なにもしない、誰とも話さない。

そんな1日があるだけで、

心のどこかがゆっくりとほどけていくのを感じる。

きっとそれは、「回復」とか「効率」では説明しきれない、

人間としての、自然なリズムのようなものなのだろう。

休むとは、“戻る”ことかもしれない

私は今、こうして文章を書きながらも、

少しだけ“休んで”いるのかもしれない。

自分のペースで言葉を紡ぎ、

誰に急かされるわけでもなく、

静かに思考を巡らせる時間。

休むとは、何かを止めることではなく、

本来の自分に、そっと戻る時間なのかもしれない。

あなたにとって「休む」とは、どんな時間だろうか?

その問いに、明確な答えがなくてもいい。

ただ、そう考えてみること自体が、

すでに小さな休息なのかもしれない。

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