「正直に言っていい?」の矛盾と思いやり

人生・暮らしの考察

「正直に言っていい?」

──そう切り出されると、こちらも身構える。

何かよほど痛いことでも言われるのだろうかと、妙に緊張するのだ。

だがふと思う。

そもそもこの「正直に言っていい?」という前置き

なにやら矛盾をはらんでいるのではないか。

この言葉が出るということは、

その前の会話は“正直ではなかった”ことになる。

つまり、ずっと何かを隠していた、あるいは本音を抑えていた。

そしてそれを、これから解禁するという宣言に他ならぬ。

さらに妙なのは、

「正直に言っていいか?」と相手に確認していること。

正直とは、もっと衝動的なもののはずだ。

湧き上がる感情や思いを、そのまま口にすること。

そこに許可などいらない。

けれども、そうはせず、まず「言っていい?」と尋ねるあたり──

どこかで相手の気分や場の空気をうかがっている

つまり、「正直に言っていい?」には、

相手の反応を恐れながら、本音を出そうとする矛盾がある

本音とは、時に不器用だ。

優しさとぶつかり、遠慮とせめぎ合い、

言い淀みながら、ようやく外に出てくる。

だからこそ、「正直に言っていい?」という一言は、

ただの前置きではなく、

本音を語るための勇気を、自分に向けて呟いているのかもしれない

……なんてことを考えていたら、

誰かの「正直に言っていい?」が、

少しだけ愛おしく思えてきた。

 

自由という檻 ──監視社会のなかで自由を語るということ

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