「お金で幸せは買えない」と言われながら、私達の幸せはお金で守られている。
「心があれば幸せ」は本当か?
「幸せは心の在り方だ」
なるほど、もっともらしく聞こえる。
けれど空腹のまま眠れぬ夜を、心の力だけで乗り越えられるかと言えば、それは難しい。
“最低限の幸せ”を考えてみた
- 暖かい寝床があること。
- 温かい食事がとれること。
- きれいな水が飲めること。
そして何より、「明日も同じように暮らせるだろう」と思えること。
日本で暮らしていると、それらは“空気”のように当然だと思われている。
だが、私が海外で見た光景は、そうではなかった。
道端に横たわる人。
裸足の子ども。
濁ったような水をすするように飲む人々。
そこには「今日生きること」が、そのまま「幸せと格闘すること」になっていた。
お金では買えない、でもお金なしでは守れない
「幸せはお金では買えない」と言う人は、おそらく“幸せが何か”をまだ問われていないのだと思う。
もちろん、お金があっても心が満たされないことはある。
だが、安心・安全・清潔・食事といった人間の基盤”は、確実にお金と結びついている。
私は最近、こう考えるようになった。
お金で“幸せそのもの”は買えないが、“幸せを感じられる土台”はほとんどお金で手に入る。
むしろ、「土台があるからこそ、心の豊かさに目を向けられる」のであって、
それがないところで「幸せとは何か」と語っても、どこか空虚に聞こえてしまう。
幸せは、心の持ちようである……その通りだ。
しかしその前に、「心を守れる環境」がなければ、
幸せを感じる余裕すら、人は持てないのだ。
幸せは、つねに“何かの上に築かれている”。
そして、その土台の一部に、お金という現実があることを、私たちは忘れてはならない。
幸せの最低限ってなんだろう?と考えたとき、「水・食事・寝床」という言葉が浮かびました。万が一のときのために、こういうものを手元に置いておくと、少し心が穏やかになります。