素直な人が好かれると言いながら、本音を言うと嫌われるという矛盾について

人生・暮らしの考察

「何でも言っていいよ」

そう言ったくせに、こちらが言葉を選ばずに思ったことを口にすると、あからさまに顔が曇る。

それを見て、私は思わず口を噤む。

なるほど、これは“言っていい”けれど“喜ばれるとは限らぬ”という類の話であったか。

「素直な人が好かれる」などと、よく聞く。

むしろ美徳として推奨されてさえいる。しかしながら現実には、素直な者ほど他人の地雷を踏み、やがて孤立してゆくように思われるのは、果たして私の気のせいであろうか。

考えてみれば、この社会には「本音を歓迎する顔をしながら、都合のいい言葉だけを期待する」という習慣がある。

つまりこうだ。

本音は歓迎されるが、それは「耳ざわりの良い本音」に限る。

素直さは愛されるが、それは「空気を読む素直さ」である。

矛盾している。しかし、誰もそれをおかしいとは言わない。

なぜなら、みな「本音を言う怖さ」を知っているからである。

では、人はどう生きればいいのだろうか。

本音を押し殺して、調和を装うべきか。

それとも、誤解されてもなお、本音を大切にすべきか。

私はこう思う。

本音を言うのは、簡単ではない。しかし、言葉の奥に「思いやり」があるなら、きっとそれはいつか伝わる。すぐには理解されないかもしれぬ。

だが、思いやりのない“優しい嘘”より、少し痛みを伴っても“誠実な本音”のほうが、人を大切にしているのではあるまいか。

素直さとは、言葉の鋭さではなく、心の姿勢である。

やさしい声で嘘を言うより、少し不器用でもまっすぐであれ。

そう、私は自分に言い聞かせている。

タイトルとURLをコピーしました