忘れかけていた記憶がよみがえった
それは、かつてメキシコで過ごした冬のこと。
日本とはまったく違うクリスマス文化に触れ、驚きと感動が入り混じった日々だった。
今では写真も残っていない。けれど、あのときの空気のにおい、街のざわめき、人々の笑顔だけは、今も心のどこかに息づいている。
ツリーは2月まで飾る?終わらないクリスマス
日本では、クリスマスが終わるとすぐにツリーを片づけ、正月の飾りへと切り替える。
だが、私が住んでいたメキシコの町では、クリスマスツリーが2月の頭になってもまだ光っていた。
最初の頃は「片づけ忘れているのかな?」と不思議に思った。
けれどそれは、単なる飾りではなく、“祈りの象徴”としてのツリーだった。
メキシコでは12月24日の聖夜から、1月6日の「公現祭(Día de los Reyes Magos)」、そしてその後の「キャンドルマス(Candelaria)」まで、クリスマスは続いていく。
ツリーを片づけるのはその一連の祭りが終わってから――つまり、2月初旬なのだ。
ツリーが長く飾られていることで、家族が集まる時間も自然と増え、祈りと団らんが日常の一部になっていた。
長く続く祈りの季節。ツリーの灯りは、単なる装飾ではなく、家族と信仰をつなぐ光だった。
赤ちゃんイエスを抱いて歩く人々
さらに印象的だったのが、クリスマスから公現祭にかけての時期。
人々が赤ちゃんイエス(Niño Dios)の人形を大切に抱き、街を歩いていたことだ。
それはキリストの誕生を祝うだけでなく、信仰を日常の中で表現する行為でもあった。
小さな毛布で人形を包み、家ごとに祝福を祈る。
その光景を見たとき、私は「宗教が生活とひとつになっている」と感じた。
日本のように宗教と日常が分かれている社会では、なかなか見られない姿だろう。
けれどそこには、人と人とをつなぐ、あたたかな祈りの形があった。
サンタクロースはいない!?文化の違いに驚いた話
もうひとつ驚いたのは、メキシコには「サンタクロースがいない」ということだ。
正確には、子どもたちにプレゼントを届けるのはサンタではなく、「東方の三博士(Los Reyes Magos)」である。
1月6日の公現祭の朝、子どもたちは三博士からの贈り物を見つけて歓声を上げる。
夜には家族で「ロスカ・デ・レジェス(王様のリングパン)」を分け合い、その中に小さな人形が入っていれば、次の祭りの主役になるという。
つまり、メキシコでは“プレゼントの日”がクリスマスではなく、年明けなのだ。
そのため、サンタの姿は観光地やショーウィンドウで見かける程度。
ある日、街角で赤い服の人形がぽつんと立っているのを見て、少しだけ郷愁を覚えた。
後にオーストラリアで「サンタはスペインから来る」と言われているのを聞き、スペイン人の友人が本気で怒っていたのも、今では微笑ましい思い出である。
文化の違いが教えてくれたこと
この体験を通して感じたのは、クリスマスという行事が、国によってまったく違う意味を持っているということだった。
日本ではどちらかといえば「イベント」として楽しむ人が多い。
恋人や友人とケーキを囲み、イルミネーションを眺める。
一方、メキシコではカトリック文化が根付いており、クリスマスは宗教行事として長く続く。それは「信仰」と「家族の絆」を深める時間だった。
ツリーも飾りではなく“祈りの象徴”であり、赤ちゃんイエスの人形も、ただの人形ではなく“信仰のかたち”だった。
国が違えば、見える光の色も、祈りの温度も違う。
けれど、そこに流れる「誰かを想う心」だけは、どこでも同じだと感じた。
記憶を言葉にするということ
忘れかけていた記憶が、こうして言葉になったことで、また一つ自分の中の大切な体験が形になった。
メキシコではカトリック文化が根付いており、クリスマスは宗教行事として長く続く。
ツリーが長く飾られていることで、家族が集まる時間も自然と増え、祈りと団らんが日常の一部になっていた。
イベントか、祈りか──その違いを知ることで、自分の暮らしを見直すきっかけになる。
あの冬に見た人々の祈りや笑顔は、今もどこかで静かに続いているのだろう。
